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タンパク質結晶の劣化を抑える新たなX線測定法

2013年8月16日

公益財団法人高輝度光科学研究センター
株式会社リガク

高輝度光科学研究センター(以下「JASRI」)の構造生物グループは、タンパク質結晶の劣化を抑えつつ、試料の状態確認と結晶性の改善をリアルタイムで行える測定法を新たに開発しました。
X線を用いたタンパク質結晶の構造解析では、試料の放射線損傷を抑えるために-180℃以下の超低温に冷却して回折測定を行います。しかし、冷却処理によって結晶がしばしば劣化するため、処理条件を最適化する試行錯誤が必要となっており、汎用性が高く効率的な処理法の開発が望まれていました。
今回開発した方法は、結晶試料を水溶性高分子からなる糊でコーティングし、湿度を調整したガスを吹きつけて、冷却に適した状態に穏やかに変化させます。この方法は適用したほとんどの試料を安定に保持でき、これまで扱いが困難だった試料でも冷却を可能にするなど、劣化防止に劇的な改善が見られました。
この方法は、国内外の研究者によるタンパク質結晶構造研究において解析効率を飛躍的に高め、医薬品の研究開発、難病治療等の研究等に多大な進展をもたらすことが期待されます。さらに、この方法の普及に向けて、株式会社リガクと装置の開発に着手しました。
なお、今回の研究成果は、JASRIの馬場清喜 研究員及び熊坂崇 グループリーダーらの研究によるもので、2013年9月1日発行の科学雑誌「Acta Crystallographica Section D: Biological Crystallography」(イギリスに拠点をおく国際結晶学会発行)に掲載されます。

1.研究の背景

タンパク質の立体構造は、生命現象を分子レベルで理解する上で重要であり、医薬品の開発などにも応用されています。現在、タンパク質立体構造の解析手法としては、X線結晶構造解析法が最も広く使われています。この手法ではタンパク質を結晶化し、その結晶にX線を照射して得られた回折画像からその構造を得ますが、複雑な構造を持つタンパク質からは一般的に数百ミクロン以下の小さな結晶しかできないことや、その回折の強度も弱いことから、高精度のデータ測定のためには高輝度なX線が利用できる放射光ビームラインの利用が欠かせません。しかし、高輝度X線を照射すると結晶の損傷が生じやすいため、100 K(約-180℃)以下の温度でタンパク質結晶を冷却して実験を行うことが一般的です。
一方で、一般に、タンパク質の結晶は多くの水分(50%程度)を含んでいて脆く、試料操作の際の水分の蒸発や薬品の添加などによって劣化しやすい特徴があります。特に、100 K以下に試料を冷却する際には、結晶内外の水分が氷の結晶となって体積膨張し、結晶を劣化させることもしばしばで、氷の結晶生成を防ぐ前処理(抗凍結処理)が必要となります。このため、試行錯誤により、最適な試料保持条件や抗凍結処理条件、冷却条件を検討する必要があります。また、検討にはこれらの複合した要因をそれぞれ評価するための測定法がないことも課題でした。

2.研究内容と成果

このように取り扱いが困難な問題を解決するために、我々は結晶を水溶性高分子の水溶液でコーティングし、湿度を調整したガスを吹き付ける新規結晶マウント法(Humid Air and Glue-coating (HAG) method: HAG法)を開発しました。
この方法では、このコーティング剤を試料マウント器具のループ状の部分に張り付けます。次に、そのループで結晶をすくい取ることで、結晶をコーティングします(図1)。このコートされた結晶を回折計の回転ステージ上に設置し、湿度調整気流を吹き付けながらX線回折実験を行います(図2)。これらの冷却前の操作は室温で行いますが、その間、コーティング剤により試料の乾燥を防ぎ安定に保持することができます。

図1
図1 HAG法による結晶のマウント方法とマウントした結晶の様子
(a) 環状の器具にPVA溶液を張り付ける。
(b) PVAを張ったループで結晶をすくい取る。
(c) PVAに張り付いた結晶はコーティングされる。湿度調整することでPVAは飽和し、結晶は固定される。

図2
図2 コーティングした結晶で回折実験を行う様子
回転ステージ上に結晶を設置し、湿度調整気流を結晶に吹き付けながら実験を行う。

コーティング剤として使用する水溶性高分子のポリビニルアルコール(PVA)は水を取り込む性質があるため、高濃度の条件で冷却時の氷の結晶析出を抑えられます。これは、抗凍結処理に従来使われてきたグリセロールや糖類のように水酸基を持つ化合物に似ています。しかし、これらの化合物は結晶内部に浸透し、タンパク質と相互作用して、試料劣化の原因となります。PVAは高分子のため浸透性が低いことから結晶内部に浸透しにくいため、この種の劣化が生じません。ただ、粘性が高くコーティングが困難でしたが、濃度を薄めた溶液でコーティングした後、湿度調整で濃縮することで、最適な冷却前処理ができました。
PVAは洗濯のりや事務用のりに使用される一般的な工業原料ですが、卵子や精子の凍結保存や生体試料の顕微鏡観察の包埋材として利用されるなど生体物質に親和性の高い材料で、さまざまなタンパク質結晶に適用出来る高い汎用性があることもわかってきています。これまでに膜タンパク質の結晶を含む多くの試料でテストを行いましたが、ほとんどの試料で良好な結果を与えました。特に図3で示した例は、従来法では回折データが取得困難だった試料で、本法により良好なデータが得られるようになっています。

図3
図3 抗凍結剤を用いた従来法(a)とHAG法(b)で凍結した試料のX線結晶回折像。従来法では結晶の劣化が激しく、像が乱れているが、HAG法では損傷がみられない。

また、粘性が高いPVA溶液は結晶と湿潤ガスの間で水分のやり取りを穏やかに仲立ちするため、コーティング剤を使わない湿度調整法に比べ、安定に試料の水分量を調整できる特徴があります。吹き付けるガスの湿度を変えながら回折実験を行ったところ、試料にはそれぞれ最適な水分量があり、湿度調節で質の高い回折像を取得することができることがわかりました。
さらに研究を進めたところ、興味深いことに、本法により結晶間の同形性を揃えられることが示唆されました(図4)。湿度を一定に保持することで、多数の結晶の水分含有率が揃い、同形になったものと考えられます。最先端の放射光光源であるX線自由電子レーザー(XFEL)では、タンパク質結晶の測定において、たくさんの同形な結晶から回折像を取得する必要があることから、この方法はこの種の実験にも効果が期待でき、脆弱なタンパク質結晶のマウント技術として幅広く利用される可能性を持っているといえます。

図4
図4 湿度調整による結晶格子の変化
3つの異なる卵白リゾチーム結晶における脱水、加水による結晶格子の長さの変化を調べた。湿度と格子定数には高い相関が見られる。(a)結晶が損傷する湿度まで下げ続けた測定。(b, c)(a)と同様に湿度を下げた後、(a)で確認された損傷湿度の前で湿度を上げた測定。

3.今後の展開

本手法は、大型放射光施設SPring-8*1の共用ビームラインBL38B1で、来年度からの一般利用を予定しています。これにより、国内外の研究者によるタンパク質構造研究に新たな可能性を切り開くことができ、医薬品の開発、難病治療の研究等の進展が期待されます。
また、この手法は放射光施設での利用にとどまらず、実験室のX線装置と組みわせて試料調製の効率化を図ることができます。そこで手法の普及のため、株式会社リガクと装置の開発を開始しました。

4.本研究について

本研究の一部は、日本学術振興会(No. 23121537)による科学研究費補助金の助成を受けて行われました。

5.掲載論文

題名:Humidity control and hydrophilic glue coating applied to mounted protein crystals improve X-ray diffraction experiments
日本語訳:タンパク質結晶の湿度調整と水溶性高分子コーティングを用いたマウントによるX線回折実験の改善
著者:Seiki Baba, Takeshi Hoshino, Len Ito, Takashi Kumasaka
ジャーナル名: Acta Crystallographica Section D: Biological Crystallography
発行日:2013年9月1日

6.用語解説

*1 大型放射光施設SPring-8 兵庫県の播磨科学公園都市にある、世界最高の放射光を生み出す理化学研究所の施設、その運転管理はJASRIが行っています。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8GeVに由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のこと。SPring-8ではこの放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究を行っています。
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